マルクス『ドイツ・イデオロギー』
◇本文のまとめ
【序文】
▪︎ヘーゲル左派の観念論批判
・「ドイツ的市民の表象を哲学的な言葉で…鳴き真似しているにすぎない」
・「理念、思想、概念が、人間たちの現実的な生活…物質的な世界…実在的な諸関係を産出し、規定し、支配してきた」と考える
【序論第一草案】
▪︎唯物論の基本構図 (24-31)
[物質] 「現実的な諸個人」の「物質的な生活諸条件」を出発点とする
[生産] 「生活手段の生産」、「生産の様式」
[実存←生産]「諸個人がなんであるかということは、彼らの生産の物質的諸条件に依存」
[表象←生産]「表象」と「生産」=「精神的交通」は「物質的な関わり合いの直接的な流出」
「天から地へと降下するドイツ哲学」「地から天への上昇」
「意識が生活を規定するのではなく、生活が意識を規定する」
・歴史過程を抽象的に図式化する哲学の終焉 (32)
【序論第二草案】
【序論第三草案】
【本論一】
▪︎共産主義と革命について
・「実践的な唯物論者すなわち共産主義者にとっては、現存する世界を革命的に変革すること…こそが問題である」(43)
・「共産主義」は「それに則って現実が正されるべき一つの理想ではない…現在の状態を止揚する現実的な運動だ」(71)
・共産主義革命=「私的所有の廃止」→「国民的・地方的な制約から解放」「全地上のこの全面的な生産(人間たちの創造物)に対する享受能力を獲得する」(79)
▪︎疎外の止揚=革命の二つの前提(72)
⑴人類の完全な無所有者化(←生産力の発展に伴って)
⑵全世界的交通の成立(→極地的な共産主義の廃止) ※資本主義の「帝国」化(ネグリ)
…完全な無産労働者化は「世界市場を前提とする」
「プロレタリアートは…世界史的にのみ実存しうる」(75)
・感性的世界は「産業と社会状態の産物…歴史的産物…活動の成果」(44)
観念論は生活諸条件を把握せず「人間なるもの」という抽象物の下にとどまる(49)
「「精神」は…物質に「取り憑かれて」いるという呪いを負っており」(56)
▪︎唯物論の歴史把握
・「第一の歴史的行為は…物質的生活そのものの生産」=「歴史全般の根本条件」(51)
人類の歴史は「産業および交換の歴史との連関で」研究されるべき(55)
・歴史は「個々の世代の連鎖」、それ自体の目的を持つのではない(76)
・「歴史の世界史へのこの転換は、「自己意識」、世界意識…その他の形而上学的な幽霊の…抽象的な事績…ではなく、まったく物質的な、経験的に追認できる事績である」(78)
・「この歴史観は…理念的構成物を物質的な実践から説明する」「意識の形態や産物は、精神的な批判[=観念論的抽象]によってではなく…実在的な社会的諸関係の実践的転覆によってのみ、解消されうる」「批判ではなく革命こそが歴史の駆動力」(87−88)
・「環境が人間を作る」(88)「人間の対自然関係は…歴史から締め出され…自然と歴史との対立なるものが創出される」(90) →「ヘーゲルの歴史哲学」(91)
▪︎分業と疎外(62-)
分業 →「精神的活動と物質的活動…活動と思考…生産と消費」の分離
=私的所有 →特殊利害と共通利害の分裂
→人間自身の行為が「人間にとって疎遠な、対向的な威力」に(=疎外)
→共同的利害は国家として 「普遍的なもの…は共同的なものの幻想的形態」
【本論二】
▪︎支配階級の思想=支配的な思想(110-7)
・「支配階級の思想が、どの時代においても、支配的な思想である。…支配的な物質的諸関係の観念的表現…ある階級を支配階級たらしめるまさにこの諸関係が思想として捉えれたもの」
・普遍妥当性の主張:「支配的な思想がますます普遍性の形式をとっていく…自分の思想に普遍性の形式を与え、それを唯一理性的な普遍妥当的な思想として示す必要」
・思弁哲学は支配的思想を生産関係から抽象して、自己展開する概念の自己規定として捉える
【本論三-1/2】
▪︎所有形態の歴史的展開と分業の発展
・大工業の成立と近代的分業の完成(162-)
▪︎アソシエーション論
・分業の止揚は「共同社会」においてのみ可能。「共同社会において初めて、人格的自由が可能になる。…現実的な共同社会においては、諸個人は彼らの連合 Assoziation において、かつ連合によって、同時に彼らの自由を手に入れる。」(174-5)
「革命的プロレタリアたちの共同社会の場合は…諸個人は諸個人としてそこに参加する…諸個人の自由な発展と自由な運動との諸条件を彼らの制御の下に置く結合」(181)
・自然発生性の衣を剥ぎ取り、諸個人の制御下に置く(182)
「生産諸関係・交通諸関係の基礎を転覆する…自然発生的なものとして前提になっていたあらゆるものをそれまでの人間たちによって創出されたものとして、初めて意識的に取扱い、諸前提にまといついていた自然発生性の衣を剥ぎ取って、それらを結合した諸個人の威力に従わせる」
▪︎革命と私的所有の終焉(195-9)
[前提]生産力と労働の疎外:「生産諸力が諸個人から引き剥がされたまったく独立のものとして…生産諸力がいわば物象的な姿になってしまって」
[革命]普遍的性格:「諸個人が眼前の生産諸力の総体を領有しなければならない」
[結果]「自己活動が物質的な生と合致する…労働の自己活動への転化…従来の交通の諸個人そのものの交通への転化…結合した諸個人による総体的な生産諸力の領有とともに、私的所有は終わる。」
【フォイエルバッハに関するテーゼ】
⑴⑸従来の唯物論では現実が「感性的・人間的な活動・実践として、主体的に捉えれない」
理論的態度が優越し、実践的・批判的活動の意義が等閑視される
⑵真理性は「理論の問題ではなく、実践的な問題」であり、思考の真理性は実践において証明
⑶環境・活動・自己の変革=革命的実践として
⑷世俗的基礎そのものの矛盾を理解し、実践的に革命されねばならない
⑹人間の本質とは「個々の個人の内部に宿る抽象物」でなく「社会的諸関係の総体」である
⑺宗教的心情=社会的産物 抽象的個人も一定の社会形態に属している
⑻「あらゆる社会的生活は本質的に実践的である」
⑼⑽従来の唯物論の立脚点:市民社会 新しい唯物論の立脚点:人間的社会、社会的人類
(11)「哲学者たちはただ世界をさまざまに解釈してきたに過ぎない。肝腎なのは、世界を変革することである。」
◇関心
・イデオロギーの問題
・グローバル資本主義の自動機械化
共産主義革命の前提=①生産力の発展 ②世界市場の全面的展開
→ホワイト『メタヒストリー』
・理論と実践、真理性の問題
フォイエルバッハに関するテーゼの⑵が興味深い
ortho-doxy とortho-praxis(グティエレス)